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連載⑪



第十一回 「和田竜という人物と脚本」 その③


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そして、主人公であるのぼうには

更に「潔さ」だけでは説明できない魅力があるように思えます。

しかしその魅力が何なのか

脚本の段階では僕ははっきりと掴めてはいませんでした。

というかのぼうがどういう人物なのか

今ひとつ理解できてなかったのです。

そんな僕にとって撮影現場での萬斎さんの演技は

本当に驚きでした

現代人的な葛藤や逡巡とは全く無縁の

フォルムが際立ったその演技は、

スピードとユーモアに溢れ、

プロデューサーの立場からすると不安になるくらいアナーキーでした。

そんな萬斎さんののびやかな演技によって、

のぼうという人物の生身の姿が、

鮮やかに僕の眼前に出現したのです。

理詰めや計算では行動する人物でないからこそ、

侍大将たちはもちろん農民たち、

そして敵方までものぼうに魅了されてしまう。

そんな摩訶不思議な人物の血が通った有り様を、

萬斎さんが説得力を持って、

そしてビビッドに表現してくれたのです。

脚本や小説にしか存在していなかったのぼうは

萬斎さんによって血肉を与えられ、

映画の中で初めて生身の人間になったというのが、

僕の印象です。

まれに、作ろうとする映画がどんな映画なのかわからないまま

撮影に入る時があります。

また登場人物がどんな人間なのかわからないままの場合もあります。

いずれにしてもその脚本に強い魅力を感じているのですが、

その脚本をうまく自分で対象化して

把握することができないでいるわけです。

でも、どうしても映画化したくて、映画にした。

撮影を始めるまでどんな映画なのか、

わからないままだったのが『メゾン・ド・ヒミコ』、

主人公がどんな人間なのか

わからないままだったのがこの『のぼうの城』でした。

プロデューサーがそれで良いのか、

という指摘は全くその通りなのですが、

そういう現場が驚きと喜びに満ち

特別な空間となるのも事実なのです。


(つづく)

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