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連載前




せっかく『のぼうの城』のサイトにブログがあるんだから、

何か書いたら?という宣伝部からの勧めもあり、

プロデューサーの立場からこの『のぼうの城』という映画について、

あれこれと書いてみようと思い立ちました。

文章の専門家ではありませんから乱文はご容赦いただくこととして、

この企画の経緯や脚本の和田さんのこと、

そして犬童・樋口両監督の事など

つらつらと書きなぐってみようと思います。

とは言いつつこの企画をスタートしたのは随分前のことなので

記憶があやふやな点もありますし、

僕の思い込みもあると思います。

資料に基づいて最大限正確な記述を心がけますが、

事実と異なる箇所もあるかもしれません。

関係者の方で間違いに気づいた方は是非、ご指摘下さい。

また当たり前ですが文責は全て私、久保田にあります。

そんな前提ではありますが、どうか最後までお付き合い下さい。


映画『のぼうの城』プロデューサー
久保田修
(C&Iエンタテインメント)


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連載①




第一回 「和田/犬童/樋口の3クリエイターが合流するまで。その①」


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さて、この映画は、「忍ぶの城(しのぶのしろ)」という脚本を

和田竜なる人物が書いた事がそもそもの発端です。

この脚本は映画のオリジナル脚本のコンクールである

城戸賞を受賞しています。

ですが、この脚本に僕が出会うまでにも色々と経緯がありました。

僕は2003年に犬童一心監督、妻夫木聡・池脇千鶴主演の

『ジョゼと虎と魚たち』という映画をプロデュースしたのですが、

この作品で映画製作者に与えられる藤本賞の特別賞を

アスミック・エースの小川プロデューサーと共に頂きました。

その受賞式の会場でのことです。

そこには『油断大敵』で藤本賞・新人賞を受賞した

成島出監督も出席していました。

成島さんとはかつて長谷川和彦監督の新作

(もちろん成立しませんでしたが)

の企画開発でご一緒していました。

と言うより自主制作映画出身の僕にとっては、

あの傑作自主映画『みどりおんな』の監督として

お名前は学生時代から知っていたのですが。

その成島さんと授賞式の場で再会したのですが、

彼から『油断大敵』のプロデューサーである

渡辺敦さんをご紹介いただきました。

そして後日、その渡辺さんから連絡をいただき、

成島さんの次回作の企画を一緒にやらないか、

とお誘いを受けたのです。

渡辺さん曰く、

「プロではないが凄い本(脚本)を書ける奴を見つけたから紹介する」

とのことです。

皆さんご想像の通り、

その「凄い本をかける奴」が和田さんでした。

その和田さんにお会いしたのは2004年の6月30日。

下町・門前仲町にある渡辺さんの会社のオフィスだったと記憶しています。

はじめての印象は・・・、まず若い。

そして慇懃無礼という感じでしょうか(笑)。

スーツは着ているし言葉遣いはきちんとしているし、

一見(というかその頃は実際も)実直なサラリーマンという印象です。

が、いざ話し合いになると実は武闘派

自分がとことん納得するまでは決して判断を下さないタイプです。

そして現代劇は書かないの?という問いに対し

時代劇以外の脚本は書きません

現代人はつまらないですから」

と言い切ります。

「変な奴だな」と思い

また「あなどれない奴かもしれないな」とも思い、

あわてて彼の書いた脚本「忍ぶの城」を翌日読みました。

そうです、僕はなんと「忍ぶの城」を読まずに

和田さんに会っていたのです!

正直その頃の僕は時代劇にそれほど興味がなく、

企画の誘いに乗ったのもあくまで成島さんの新作への興味からです。

ですから渡辺さんが良いと言うなら大丈夫だろうぐらいの気持ちで

脚本を担当する和田さんと会ったわけです。


(つづく)

連載②




第二回 「和田/犬童/樋口の3クリエイターが合流するまで。」その②


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前述したように「忍ぶの城」は第29回の城戸賞を受賞しています。

そして受賞脚本は雑誌「キネマ旬報」に掲載される事になっています。

そこで僕は「忍ぶの城」が掲載された

「キネマ旬報2004年の1月下旬号」を入手します。

時代劇の脚本を全く読み慣れていない僕は、

最初、なかなか物語の世界に入っていくことができませんでした。

知らない単語は多いし、登場人物の呼び名は変わるし、

慣れない言い回しもあるし・・・。

しかし、読み進めて行くうちに、

すっかりこの脚本の登場人物たちに魅了されていきました。

読み終わった時の印象は、シンプルに、しかし強烈に

「あー、おもしろかった」

そしてなんとも言えない読後感が残りました。

登場人物たちがあまりに新鮮に描かれており、

実際に生きた彼らを目撃してしまったかのような感慨があったのです。

アマチュアでこれだけ完成された脚本を

書く人物がいたことも驚きでした。

ちなみにですが、『ジョゼと虎と魚たち』で脚本家デビューし、

NHKの朝ドラ『カーネーション』を手がける渡辺あやさんも

元々は純然たるアマチュア。

アマチュアだろうがプロだろうが

才能がある人は何かが決定的に違うようです。

それがオリジナリティと呼ばれるものなのでしょう。


さて、すっかり「忍ぶの城」に魅了された私ではありましたが、

読んだその時はこの脚本を映画化しようなどとは

全く思いませんでした

前述したようにその頃僕は

積極的に時代劇を作ろうという意志がありませんでしたし、

この映画化には製作費がいくら必要なのか想像もつきません。

合戦シーンはあるは、水攻めはあるは、そもそも舞台となる

「忍城(おしじょう)」を作らなければならないはで、

どうやって映画化したら良いのか

自分の想像力を完全に越えていました。

というわけで、

その後も僕はあくまで成島さんの次回作の打ち合わせのため、

和田さんとお会いするのみでした。

しかし、打ち合わせをするごとに

和田さんという人物への興味が増して行きます。

そして何より「忍ぶの城」の面白さが忘れられません

度々読み返してはその面白さを再確認するという日々が続きました。

そうして初めお会いしてから2ヶ月ほどたったある日、

ついに我慢出来ず、和田さんに

脚本「忍ぶの城」の権利がどうなっているのかを尋ねました。

そうしたところ、

ある映画会社から城戸賞受賞時に問い合わせはあったものの、

それきりで映画化の動きはないとのこと。

そのこと自体驚きではあったのですが、

ならばと映画化の自信は全くなかったのですが、

当社に権利を預からせて欲しいと正式にお願いしました。

和田さんもはなからこの脚本が映画化できるわけないと思っていたのか、

二つ返事で許諾をいただきました。


(つづく)

連載③




第三回 「和田/犬童/樋口の3クリエイターが合流するまで。」その③


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その頃、僕は監督:犬童一心、脚本:渡辺あやによる第二弾

『メゾン・ド・ヒミコ』の準備に取りかかっていました。

この映画も2000年末に企画をスタートし

やっと04年の9月末のクランクインを向える段階に来ていました。

僕は「忍ぶの城」も

犬童さんに監督をお願いしたいと考えました。

犬童さんとは99年の『金髪の草原』以来、何本かの作品をご一緒し

映画監督としての力量には全面的な信頼をおいていましたし、

何より彼の映画知識の圧倒的な豊富さを知っていたので、

時代劇も犬童さんなら撮れるだろうと考えたわけです。

今考えると時代劇未経験の監督とプロデューサーで

それも大作に挑戦するとは、なんと無謀な、と思うのですが

その当時は「時代劇を作る」という感覚はあまりなく

『ジョゼ』同様、新しい才能から生み出された

新しい脚本を映画化するんだという

意識が先にたっていたように思います。

残念ながらいつこの脚本を犬童さんに読んでもらったのかは

正確には憶えていませんが、

おそらく『ヒミコ』の準備中に読んでもらったのだと思います。

ただ犬童さんが読了後、

「登場人物の死生観に特徴があるね」

と言ったことはよく憶えています。


さて、日本映画は現在、

ほとんど「製作委員会」形式で製作が行われています。

製作委員会とは複数の企業が共同で映画を製作し

運用する事業体です。

その製作委員会の代表会社を「幹事会社」と呼び、

企画はその幹事会社が発案の場合もあれば

当社のような制作プロダクションが

幹事会社に提案する場合もあります。

僕が映画化実現のために、次に起こさなくてはならないアクションは

その製作委員会の組成です。

ですが、いきなり委員会を組成することはできません。

まずは共同で企画開発を行い、

最終的には委員会の一員となってくれる

パートナー会社を探さねばなりません。

僕は『ジョゼ』や大谷健太郎監督の『約三十の嘘』同様、

アスミック・エースの小川プロデューサーに声をかけます。

そもそもその頃小川さんとは

前述の『ヒミコ』の準備で日常的にお会いしていました。

早速脚本を読んでくれた小川さんもこの脚本を大絶賛。

犬童さんが監督することにももちろん賛成。

ただ、製作費が巨額になることは間違いなく、

どうやって製作委員会を組成するか、

つまりは製作費を調達するかが最大の問題であるという

共通認識を得ました。


(つづく)

連載④



第四回 「和田/犬童/樋口の3クリエイターが合流するまで。」その④


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そんな9月のある日、彼(アスミック・エース小川プロデューサー)から

「この企画のスペックを高めるためにも

特技監督に樋口真嗣さんを加えたらどうだろう」

という提案がありました

(その頃、樋口さんは『ローレライ』で監督デビューする前でした)。

樋口さんの特撮はそのディテールの素晴らしさで

他の特撮と完全に一線を画しています。

そして特撮にもかかわらず、

その画に情感がある点が彼の最大の特徴だと思います。

『ガメラ3 邪神覚醒』での火の海と化した京都の街に立つ

ガメラとイリスの姿を捉えたロング・ショットは、

それが特撮カットであるかどうかを越えた美しさを獲得していました。

と言うか、僕にとって樋口さんは同じく『ガメラ3 邪神覚醒』で

あの憎っくき渋谷の街(その頃、僕は何故か渋谷が嫌いでした)を

完全に破壊してくれた監督であり、

また『ジョゼ』を観た後に

長文の感想メールを送ってくれた人物でもありました。

これは面白いアイデアだと思い早速犬童さんに打診。

元々樋口さんに面識もあった犬童さんは、

この映画には樋口さんの才能が必要だと

すぐに賛成してくれました。

樋口さんには小川さんが声をかけ、

こうして和田/犬童/樋口という

三人のクリエイターが揃うことになりました。


そして実際にこの三人が会うのは翌2005年の1月16日。

ですが、その時の事を僕はほとんど憶えていません。

大谷監督の『NANA』の撮影中で、

思いっきりテンパっていたのだと思います。

おそらく三人ともこの時が初対面ということで、

挨拶程度だったのではないかと思うのですが・・・。

一方、和田さんと出会うきっかけを作ってくれた成島さんの企画ですが、

様々な事情で流れてしまいました。

しかしその後も成島監督は新作を作り続け、

第一線の監督として活躍されているのは皆さん衆知の通りです。

その後、樋口さんは05年3月に『ローレライ』で監督デビュー。

その後もコンスタントに監督作品を作り続け、

自ずと『のぼう』に関しても監督での参加となりましたが、

一時はスケジュール問題で樋口さんが参加できないかも、

というタイミングもありました。

ですから07年3月に行われた

アスミックのラインナップ発表会で企画開発案件として

この作品(当時は『忍ぶの城』として)が発表された際には、

監督は犬童さんのみが表記されています。

その後もなかなか製作決定に至らず、

やっと08年の夏になりやっと目処がたち始めます。

そして10年の夏に撮影というスケジュールが

おぼろげに見えてきました。

この時期であれば樋口さんも大丈夫ということで、

正式に監督は犬童さんと樋口さんの共同で行うという形になります。

こうして脚本:和田竜/監督:犬童一心・樋口真嗣の三つ巴

『のぼうの城』は製作されることになったわけです。


(つづく)

連載⑤




第五回 「脚本から小説へ」 その①


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和田/犬童/樋口の3クリエイターが揃った後、

僕は小川プロデューサーと

この映画の製作に向けての打ち合わせを重ねます。

まず時代劇に精通したスタッフに

概算で製作費を見積もってもらいました。

金額はおよそ15億円

そしていくつかの会社に製作委員会への参加を打診しました。

ただどの会社も興味を持ってはくれるのですが、

少ないパーセンテージ出資での参加の可能性のみ。

毎度のことではありますが(『メゾン・ド・ヒミコ』もそうでした)、

オリジナル脚本の映画化の難しさを感じます。

05年の夏には野村萬斎さんにのぼう役での出演をオファー。

そして引き続き大手映画会社へのプレゼンを行いますが、

製作委員会の組成はなかなか進みません。

はやり、オリジナル脚本で、

かつ今回は製作費も大きいという点がネックになっていました。

実写映画の場合、

ベストセラー小説や有名マンガを原作とした企画が成立する可能性は、

オリジナル企画よりも圧倒的に高い現状があります。

その理由は極めてシンプル、

有名原作ものの映画がヒットする確立の方が高いから。

タイトルや内容はすでに認知済みで、

誰が出演するかなどの宣伝からスタートする原作もの映画と、

そもそものタイトル認知からはじめなければならない

オリジナルもの映画では、

言うまでもなく圧倒的に後者の方が宣伝パワーも必要になるし

成功する難易度も上がるわけです。

もちろん有名マンガが原作だから

必ずヒットするというわけではありません。

しかし確率的にヒットする可能性が高いのは間違いの無い事実です。

こういった流れは現在に始まった訳ではなく

日本映画全盛期と言われる1950年代においても

その頃もっとも影響力のあった新聞小説を、

各映画会社が競って映画化しています。

僕も、05年の年末にはこのままでは製作委員会の組成は

難しいと感じる様になってきました。

そこで半ばやけっぱちで考えたのが、

「忍ぶの城」の小説を作ったらどうか

ということでした。

オリジナル脚本の映画化が難しいなら

原作となる小説そのものを作ってしまえというわけです。

これがかなり無謀な挑戦だということは充分に理解していました。

仮に出版できたとしてもベストセラーになる保証はどこにもありません。

ですが、他に突破口が見いだせなかったのです。


(つづく)

連載⑥




第六回 「脚本から小説へ」 その②


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小説出版への課題は2つ。

1つ目は、和田さんは小説を書いてくれるか?

そもそも彼は小説が書けるのか?

2つ目はその小説を出版してくれる会社はあるのか?

まず、1つ目です。

最初から別の作家を立てるという考えはありませんでした。

彼のオリジナル脚本が全ての起点ですから

それは失礼だろうと思ったのです。

また彼の性格を考えても自分の作品を他者が翻案する

(今回の場合は小説にする)ことを許すとは

とうてい思えないという事情もありました。

僕はなんとなくですが、

和田さんは小説が書けるのではないかと思っていました。

彼の脚本には明確な文体があったからです。

簡潔でリズムがあり、そして高い美意識で統一されているのです。

それは台詞だけでなく登場人物の行動を描写する

ト書きの部分にもはっきりと表れています

(余談ですが彼はメールの文体も一貫しています。

そこまで美意識を貫くのかと半ばあきれ、半ば感心します)。

こういった脚本を書ける人はきっと小説も書けるはずだと踏んだ訳です。

あとは本人はやる気になるかどうかが問題です。

そこで小説執筆の依頼の前に2つ目の課題、

つまり出版社探しをスタートします。

まず、僕は小学館の文芸編集の石川さんに連絡を入れます。

彼とは05年の6月にはじめてお会いしたばかりでした。

映画化して欲しい小説があるので会いたいというのです。

出版社から直接小説の売り込みなど受けたことなどなかったので

とても驚いたことを憶えています。

お会いするとやたらと背の大きいモゴモゴしゃべる青年で、

この人は本当に社会人なのだろうかと心配になりましたが(笑)、

熱心にある小説の映画化を勧めてくれました

(ちなみにその企画は当社の手を離れましたが、

その当時の脚本を原型として後に映画化されました)。

その石川さんに脚本「忍ぶの城」を読んでもらうことにしたのです。

彼ならば小説の映像化には強い興味を持っているし、

この脚本の面白さも理解してくれるだろうと思ったのです。

反応は上々

しかし、この段階で小説として出版されたら

即映画化すると彼に約束するわけには行きません

あくまで映画化に向けて努力はするが、

実現化するか否かは状況によることを理解してもらった上で、

出版に向けての前向きな返事をもらいます。


(つづく)

連載⑦




第七回 「脚本から小説へ」 その③


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そして翌06年の1月、いよいよこの件を和田さんに相談します。

本来であれば脚本家に話すべきではない製作状況を説明し、

映画化実現に向けての突破口としての

小説化を打診したわけです。

どういう反応が返ってくるのか全く予想がつきません。

それに和田さんは何事にも即答することをしない人です。

撮影直前の脚本の直し打ち合わせでも、

その場では判断をしないという大変迷惑な人です(笑)。

が、数日後にはこれまた前向きな返事をいただき、

早速和田さんと石川さんを引き合わせることにしました。

2月6日に僕も加えて3人での打ち合わせを経て、

17日には正式に小説を書いてみるとの返答をいただきます。

そして8月には小説版の初稿が脱稿します。

そして実際にこの小説が出版され店頭に並ぶのは

2007年11月ですが、

出版の際に議論となったのがタイトルです。

「忍ぶの城」では既存の時代小説と差別化できない、

という意見が小学館スタッフから上がったのです。

確かに本格時代小説でありながら

極めて現代的なセンスを併せ持つ

この小説のタイトルとしては少し固いかもしれません。

そこでアスミックの方々も入れて何度か打ち合わせを行いました。

そして07年の8月に「のぼうの城」というタイトルに決定します。

もちろん主人公成田長親の愛称「のぼう」から付けられました。

この小説の持つユーモアもタイトルに込められたと思います。

そして忘れてならないのは表紙のオノナツメさんのイラスト

これも小学館のスタッフのアイデアによるものですが、

この小説が通常の時代小説とは

全く異なるポジションにあることを端的に読者に伝える

素晴らしい表紙だと思います。

また初版の際は石川さんから

本の帯に犬童さんのコメントを依頼されました。

しかし当然ですがここで「映画化決定!」と詠うことは出来ません。

そこで犬童さんとも相談し

「この小説はぜひ映画化したい!むずかしいけど」

というなんとも微妙なコメントにさせてもらいました。

今考えるとかなり苦し紛れですが。


(つづく)

連載⑧



第八回 「脚本から小説へ」 その④


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こうして初版8000部でスタートしたこの小説は予想に反し(笑)

その後順調に版を重ね2008年4月上旬には6万部を越えます。

加えて7月にはなんと直木賞の候補作品ともなります。

こうして映画『のぼうの城』を巡る環境も大きく変わっていきます。

脚本が元であることを知らない会社から

(普通知らないですよね)、

小学館に映像化権の問い合わせが入ることも度々ありました。

そして同年の夏頃には

『NANA』や多くの作品でご一緒させていただいている

TBS映画部濱名エクゼクティブプロデューサーを交えて

映画化の打ち合わせが行われるようになります。

そして改めて野村萬斎さんに出演を再依頼。

小説は翌09年4月に本屋大賞でもベスト2位に付け、

増々部数を延ばします。

同時期にTBS/アスミック・エースの共同幹事、

そしてC&Iエンタテインメント(当時はIMJエンタテインメント)/

アスミック・エースの共同制作プロダクションという形で

映画化が正式決定

いよいよキャスティングや予算作成、

ロケハン等のプリプロダクションがスタートしました。

その後、小川プロデューサーは『ノルウェイの森』に専念するため、

この企画から離れますが

『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』の

井手陽子プロデューサーが新たに参加。

結果としては当社の田中美幸、TBSの辻本珠子さん、

そして井手さんを加えた女傑3人組が

共同プロデューサーとして僕と共に

2010年8月の撮影に臨むことになります。


(つづく)

連載⑨



第九回 「和田竜という人物と脚本」 その①


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3人のクリエイターが揃うまでの経緯でも書きましたが、

和田さんにはじめてお会いしたのは2004年の6月

その頃彼は文筆業のプロではなく、

一般企業に勤めるサラリーマンでした。

たまたま彼が務めていた会社がその頃の当社と同じ五反田にあり、

スーツ姿で通勤途中の彼にお会いするなんてこともありました。

サラリーマンをしながらオリジナルの

あれだけの大作の脚本を書くという作業が

どうやったら可能なのか想像できなかったので、

お会いして間もなくの頃、

和田さんにそれをお聞きした事があります。

土日ごとに舞台となる埼玉県行田市まで行き文献を読み、

平日は会社勤めの後、

夜中にコツコツと脚本を書いていたとのこと。

それがどれだけ大変な作業かは皆さんも想像が付くと思います。

そうしてまで自分の作品を作るんだという意志

そして欲求がその頃の和田さんにはあったということでしょう。

とにかく脚本に関しては頑固とも言えるほど

明確な判断基準を持っている人です

(ていうか、頑固ですね、つまりは)。

当然ですが2005年以降、

数えきれないほどの打ち合わせをしてきました。

城戸賞を受賞した脚本は既に完成されたものでしたが、

まず監督が入った段階で当然修正作業が入ります

そもそも城戸賞受賞版を映画にしたら

3時間になってしまうという問題もありました。

そして映画製作の常ですが、予算やスケジュール、

ロケーション等の現実的な色々な環境にアジャストするための

修正作業も必要になってきます。

その打ち合わせの際の態度もまた独特です。

声を荒らげたり失礼なことを言うということはないのですが、

その場にはなんとも言えない緊張感が漂います。

その佇まいはまるで野武士(笑)。

「それは出来ないな」とバッサリ切り捨てられることもしばしば。

とても映像化された脚本が一本もない新人とは思えない態度です。

また即答を極力避ける。

熟考に熟考を重ねるタイプですね。

時間がある時はまだ良いのですが、

撮影直前の場合などその待たされる一日が、

演出部や制作部にとっては死活問題だったりもします。

そう言う意味では本当に迷惑な人でした

その割に打ち合わせの際、

紺のスーツに赤いマフラーなんぞしている時もあって、

冗談で「それ、彼女からもらったの?」と聞いたら

「そうです」と真顔で答えられたりして、

「やっぱり現代の若者なんだな」と妙にホッとしたこともありました。

そんな彼も小説が出版され、ベストセラーになり

ついにサラリーマンを辞めます。

その頃からファッションも変わっていきました。

当たり前ですがスーツ姿では無くなるのです。

すっかり青年作家然とした今の和田さんもかっこ良いのですが、

僕としてはかつてのサラリーマン姿が懐かしくもあります。


(つづく)

連載⑩




第十回 「和田竜という人物と脚本」 その②


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さて、その和田さんの脚本ですが、

その魅力はどこにあるのでしょうか?

今まで説明したようにこの脚本の映画化は

決して順調な道のりではありませんでした

「構想7年の大作」とか言われることもあるのですが、

簡単に言えば7年かかってしまっただけのことです。

正直、諦めかけたと言うか、

ほとんど諦めた時も何度かありました

しかしそれでも企画開発を続けられたのは、変な表現ですが、

どう考えてもこの脚本が面白い」からでした。

これだけ面白い脚本を映画化しないのはまずいのではないか、

という妙な使命感を持っていたのも事実です。

この脚本のストーリーはもちろん面白いのですが、

僕が特に惹かれたのはやはり登場人物のキャラクターでした。

彼らの価値観と言って良いのかもしれません。

のぼう達の生き様はあまりにも潔い

彼らは僕ら現代人のように全てを欲しがったりしません。

我々は知らず知らずに過剰な欲望の中で

日々を過ごしているのだと思います。

何かを諦める事を知らず、1から10までを欲しがる。

それに対しのぼう達には欲しいもの、大切なもの

優先順位が明確にあります。

彼らにとって最も重要なのはおそらく「誇り」なのでしょう。

そして「仲間」。

それを守るためには自分の財産や命までもが

二の次のものになってしまう。

その判断はあきれるくらい明確です。

そして執着や嘆きと無縁

自分達が大切だと思うことに全力を尽くすが、

尽くした限りはその結果がどうであれ

それをあっさりと受け入れます。

戦国時代における「死」と

現代におけるそれの在り方は全く違っていたはずです。

「死」は圧倒的に身近にあった

それがのぼう達の潔さに繋がっているのでしょう。

この点を指して犬童さんは

「登場人物の死生観に特徴があるね」と言っていたのかも知れません。

欲張らない人間は、潔い。

そして潔い人間達の姿はとても清々しい

清々しさは我々現代人が失ってしまった特質なのだと思います。

清々しく生きた人間を目撃する喜びがこの脚本にはあります。

読むたびに感じる爽快感、清涼感は

ここに起因するのではないでしょうか?


(つづく)

連載⑪



第十一回 「和田竜という人物と脚本」 その③


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そして、主人公であるのぼうには

更に「潔さ」だけでは説明できない魅力があるように思えます。

しかしその魅力が何なのか

脚本の段階では僕ははっきりと掴めてはいませんでした。

というかのぼうがどういう人物なのか

今ひとつ理解できてなかったのです。

そんな僕にとって撮影現場での萬斎さんの演技は

本当に驚きでした

現代人的な葛藤や逡巡とは全く無縁の

フォルムが際立ったその演技は、

スピードとユーモアに溢れ、

プロデューサーの立場からすると不安になるくらいアナーキーでした。

そんな萬斎さんののびやかな演技によって、

のぼうという人物の生身の姿が、

鮮やかに僕の眼前に出現したのです。

理詰めや計算では行動する人物でないからこそ、

侍大将たちはもちろん農民たち、

そして敵方までものぼうに魅了されてしまう。

そんな摩訶不思議な人物の血が通った有り様を、

萬斎さんが説得力を持って、

そしてビビッドに表現してくれたのです。

脚本や小説にしか存在していなかったのぼうは

萬斎さんによって血肉を与えられ、

映画の中で初めて生身の人間になったというのが、

僕の印象です。

まれに、作ろうとする映画がどんな映画なのかわからないまま

撮影に入る時があります。

また登場人物がどんな人間なのかわからないままの場合もあります。

いずれにしてもその脚本に強い魅力を感じているのですが、

その脚本をうまく自分で対象化して

把握することができないでいるわけです。

でも、どうしても映画化したくて、映画にした。

撮影を始めるまでどんな映画なのか、

わからないままだったのが『メゾン・ド・ヒミコ』、

主人公がどんな人間なのか

わからないままだったのがこの『のぼうの城』でした。

プロデューサーがそれで良いのか、

という指摘は全くその通りなのですが、

そういう現場が驚きと喜びに満ち

特別な空間となるのも事実なのです。


(つづく)

連載⑫



第十二回 「キャスティング」 その①


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のぼう様こと成田長親を野村萬斎さんにお願いしたのは

前述の通り、

ごく初期の05年の段階でした。

というか、萬斎さん以外は、

全く候補が出ていなかったと記憶しています。

のぼう様はこれといった能力が無いにも拘らず、

回りの人間たち全てを魅了してしまう人物です。

そんな無茶な、というかいわば「無理目な」人物には

何か特別の、雰囲気、空気感が必要です。

小説にはのぼうの外見に関する表記がありますが、当然我々は

それ以前の脚本をもとにキャスティングをしています。

その際に最も重視したのも、俳優自らが醸し出す空気感でした。

萬斎さんそれはまさしく特別です。

まるで常に宙に5cm浮いているような不思議な佇まいは、

萬斎さんをいつの時代の人物なのかわからなくさせます。

萬斎さんの回りだけはいつも無風状態なのではないか、

そんな気さえしてきます。

そういった独自の存在感がのぼうには絶対に必要だと考えたわけです。

この映画のクライマックスとも言える人工湖での船上の田楽踊り

そこでの萬斎さんの踊りは見事というしかありません。

と言うか、萬斎さんでなくては

あのシーンは撮影出来なかったかもしれません。

萬斎さんは実際に浮かべた船の上で田楽踊りを行っています。

揺れ続ける船の上でです。

しかし、実はキャスティングする際、

萬斎さんが踊れるということを

少なくとも僕は全く考慮に入れていませんでした。

つまりそのくらい萬斎さんの存在そのものが、

のぼう様だと考えていたのです。

同じことが、のぼうの親友、

正木丹波役の佐藤浩市さんにもありました。

丹波はまるで自分の足のごとく

自由に馬を乗りこなせなくてはなりません。

これまた実際に撮影をして痛感したのですが、

浩市さんは本当に馬の扱いがうまい

かつての西部劇俳優のように当たり前に馬を操る。

しかし、キャスティングの際には浩市さんが

馬に乗れるという点は僕らの意識にはあまりありませんでした。

それよりも、丹波の持つ哀しみ

それは時代が変わって行くことへの哀しみなのかもしれませんし、

天才を友に持ってしまった哀しみなのかもしれませんが、

それを表現できるのは

浩市さんだけだろうという思いがまずありました。

きちんと年齢を重ねてきた人間にしか出せない

重層的なキャラクターが丹波には必要だったのです。


(つづく)


連載⑬



第十三回 「キャスティング」 その②


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そして甲斐姫にキャスティングしたのが榮倉奈々さん。

彼女は手練手管で芝居をしない女優さんです。

毎回その役柄に正直に向き合い、真正面からその役を掴もうとする。

それ故にいつも演技が新鮮です。

その新鮮さが甲斐姫には必須だと考えたわけです。

今回も時代劇初挑戦であること以前に、

まず甲斐姫というキャラクターに真っ向から向き合ってくれています。

靭負は成田軍の侍大将で最も若く唯一実戦経験がありません。

そんな若さ故のプライドとコンプレックスを表現できる俳優として、

成宮寛貴さんにオファー。

若くしてすでに様々な役柄を演じてきた成宮さんならば、

靭負を演じられると考えたのです。

そんな彼と浩市さんや山口さんとのコミカルなやり取りは

この映画の一つの見所にもなっています。

そして成田軍一の侍大将、和泉にはぐっさんこと、山口智充さん。

キャスティングをする際、いつも気をつけていることがあります。

「納まりが良くなりすぎない事」です。

あまりに納まりが良いと

その映画の印象がおとなしくなってしまうのです。

そんな意味からも和泉にはいわば異業種の山口さんをと考えたのです。

結果は大正解。

普段のテレビ番組では決して見る事のできない、豪腕で豪快、

アドレナリン出まくりの山口さんがそこに存在しています。

公開前の現段階で一番物議をかもしているのが

石田三成役の上地雄輔さん(笑)。

知将三成をなぜ、上地に?といった疑問なのでしょう。

しかし両監督含め、我々は自信をもって「上地三成」を

皆さんにプレゼンテーションします。

三成は世代的にものぼうや丹波より若く、

まだ意気盛んで野心に満ちています。

でもその本質にはある種の純粋さ、邪気の無さがある。

だからこそ秀吉に心酔し、あこがれ、全く同じ戦い方までする。

しかも、敵方であれその人物を認めれば

屈託の無い笑顔さえ見せてしまう。

そんな少年性を持った俳優として候補に上がったのが上地さんでした。

本編を観ていただければ多くの観客が

上地さんの演技に驚愕するのではないでしょうか?

純粋で、しかも胆の座った見事な三成がフィルムに出現しています。

三成の盟友、大谷吉継は戦上手で友情に厚く、

歴史通の方々からの人気がとても高い戦国武将でもあります。

実力派の山田孝之さんにお願いしたのは

そんな吉継を説得力を持って演じてくれると考えたから。

実生活でも友人である上地さんとのやり取りは、

男同士の友情を堪能させてくれます。

また戦場での立ち振る舞いもまさに名将。

実際の戦国武将もかくありなんという姿です。

良い意味で典型的憎まれ役の長束正家には平岳大さん。

こういった役はきちんとした演技派でなくてはと

平さんにお願いしました。

もちろん彼のノーブルな顔立ちやガタイの良さも魅力でした。

平さんの徹頭徹尾、卑怯で姑息な正家を(笑)、

是非楽しんでいただければと思います。

天下人、秀吉には市村正親さん。

天下統一直前の秀吉のオーラを市村さんの経験と技術、

そして人間としての圧力で表現していただこうという狙いでした。

他にも西村雅彦さん、平泉成さん、

夏八木勲さん、中原丈雄さん、

そして自ら珠役を名乗り出ていただいた鈴木保奈美さんら、

理想的なキャスティングが実現しました。

加えて、両監督がこだわったのが農民たち。

映画には久しぶりの本格出演となる前田吟さん。

『仁義なき戦い 広島死闘篇』にも出演している

映画俳優ぶりが本作では堪能できます。

その息子夫婦には中尾明慶さんと尾野真千子さん。

そして娘には名子役、芦田愛菜ちゃん。

結果として随分豪華な農民たちになりました。


(つづく)


連載⑭



第十四回 「公開延期」 その①


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ここまで読んでいただいた方にはすでにお判りかと思いますが、

ここまでの文章は

2011年9月17日の公開に向けて書いていたものです。

しかし、3月11日、あの東日本大震災が起こります。

21世紀の日本のような先進国で、

2万人に近い人々が亡くなる大災害が起こるなど

想像すら出来ないことでした。

あまりにもの惨事でした。

その時点で『のぼうの城』は編集の最終段階を向かえていました。

映画での水攻めシーンは、まるで、

あの震災を予見したかのような描写でした。

スタッフの優秀さに改めて驚くと共に、

これはなんらかの対応をすべきであるし、

またしなくてはいけないと我々は考えました。

両監督とも話し合い、そして製作委員会での議論も経た上で、

最終的に公開延期が決定されます。

もちろん津波と水攻めは違います。

しかも水攻めは史実に基づいています

しかし、あのあまりに圧倒的な現実を前にして、

我々は公開延期を選択しました。

そして犬童・樋口両監督からの提案で、

本編に修正を加えることになります。

一つは水攻めシーンに関して。

もう一つはエンドロールに関してです。

水攻めシーンでの、人が水にのみ込まれるカットに関しては

修正を行いました。

直接的な表現の影響を考えてのことです。

そしてもう一つはエンドロール

決定稿でのラストは「現代の行田。田園。石田堤。」としていました。

ですから、2010年の秋に現代の行田市の様々な姿を撮影し、

それをベースにエンドクレジットを流す予定にしていました。

しかし、震災を受け、急遽、

春の行田市の姿も追撮することにしました。

その内容の詳細はここでは記しませんが、

それを組み込むことによって

より「時間の流れ」を強く感じられる作品になったと思っています。

もっと言えば「時間は信用に足る」ことが

表現できたのではないかと思っています。

そしてこの作業を経て、震災から一年後の今、

観ていただくに足る作品になったのではとも思っています。

一年余に渡る公開延期の間に驚くこともありました。

まず芦田愛菜ちゃん。

歌手デビューまでしてもはや大スターです。

そしてちよ役の尾野真千子さん。

渡辺さんの脚本によるNHK朝ドラ『カーネーション』で大ブレイク。

まさしくうれしい誤算でした。


(つづく)


連載⑮【最終回】

連載企画:プロデューサー久保田の“「のぼうの城」ができるまで”【最終回】

第十五回 「公開延期」 その②


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公開が一年延びたことにより、

結局萬斎さんには最初にお声かけをしてから

公開まで7年間待っていただいたことになります。

犬童・樋口両監督には8年間、

そして和田さんに至っては待つ事もさることながら、

脚本家デビューの前

小説家デビューをしてもらうことになってしまいました。

結果的には「のぼうの城」を出版後、

「忍びの国」「小太郎の左腕」と立続けに小説を発表し、

現在も週刊新潮で「村上海賊の娘」を連載中ですので、

小説家和田竜の誕生という意味では良かったのかもしれません。

と言うか、本当に良かった

今の僕は公開を待つのみ。

プロデューサーとしてはまさにまな板の上の鯉です。

これからは観客の皆さんによって

この映画がどう生かされて行くのかを見届けるだけです。

皆さんにとって特別に楽しく、

特別に記憶に残る映画になることを願って止みません。


(おわり)

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